「廃港の霊」Art Fizical Baits/BASS LIQUOR ②

真夜中、岸壁に腰かけていると、突然、足首をつかまれる。

 

 

驚いて足もとを見やると、海面から無数の白い手が伸びている。

 

 

…“よくある” 怖い話だ。

 

 

さりとて、これを「ただのつくり話」と一笑に付すのは、早計かもしれない。

 

 

 

20年以上前、東京湾に接する中核都市に、小さな漁港があった。

 

 

隅には絡まり合った漁網が無造作に積まれ、異臭を放っている。

 

 

沿岸漁船だろうか。

 

係留された小型船は、どれも、疾うの昔にその役目を終えているようであった。

 

 

浮力を失ったものは、折り重なるようにして、海底に船体を横たえている。

 

 

波間に漂う数艘も、潮風にさらされながら、己の体が朽ちていくのを粛々と受け入れているようである。

 

 

泊地の波音は静寂よりも静かであり、そこは物寂しい廃港であった。

 

 

当時、この場所には、地元の友人とよく夜釣りに訪れていた。

 

 

そのうちの一人が後輩のKである。

 

 

Kはいたって普通の人間—それどころか、心から信頼できる、誠実な人柄のもち主—なのだが、、

 

いかんせん、霊感がすこぶる強い。

 

 

その霊感とは、本人曰く、

 

〈昼間、街中で、普通に霊とすれ違うレベル〉

 

なのだという。

 

 

思わず「頭大丈夫ですか?」と言いたくなるところだが、、

 

それほどの霊感をもつKとの釣行では、しばしば、背筋が凍るような思いをさせられてきた。

 

 

 

真夜中、房総半島のダム湖の周回道路を車で走っているとき、

 

「あっ、数人いますね…」

 

と、(どう見ても人っ子一人いない山道で)唐突に言ってきたり、、

 

 

釣りをしている最中にも関わらず、その実直さからか、

 

「さっき肩を叩かれました」

 

「あそこに一人座ってます」

 

「今、先輩のこと見てますよ」

 

などと、(できれば言わないでほしいことを)律儀に教えてくれたりするのだ。

 

 

 

Kと初めてこの漁港—といってもすでに廃港であったが—を訪れた際にも、すぐ横で、

 

「先輩きました!」

 

と言うので、当然私は“魚が掛かった”ものだと思ったのだが、続けて彼の口をついて出た言葉は、

 

「足つかまれてます」

 

であった。

 

 

それからは、この場所で釣りをする度、

 

毎度、

 

見えない何かに足をつかまれたり、後ろから押されたりするKの姿があった。

 

 

初めの頃、私は怖くて仕方がなかった。

 

 

しかし、いくら怖いといってもそのうち慣れるもので、、

 

数回めからは、彼からの「つかまれた」「押された」という訴えに、笑いをこらえるのに必死であった。

 

 

(声に出して笑わなかったのは、霊がこっちに来そうで怖かったからである…)

 

 

Kに「漁港周辺を彷徨う霊の数」を尋ねると、しばらく周囲を見渡した後、いつも決まって「8人です」と答えるのであった。

 

 

私は、てっきり、「この辺りの海で“最近”亡くなった人の霊」だと思っていたのだが、

 

一度、Kから、「揃って質素な格好をした男性…昭和初期の漁師のようだ…」と聞いたことがある。

 

 

廃船にいるものもあれば、岸壁に立っているもの、、

 

数人は海中からじっとこちらを見ているらしい。

 

 

そして、突然、

 

手を伸ばして足をつかんできたり、

 

隣に座って顔をのぞき込んできたり、

 

後ろから突き落とそうとしてきたりするのだという。

 

 

(私には全く見えなかったが、彼がそう言うのだからそうなのだろう…)

 

 

さて、冒頭の“よくある”怖い話…

 

 

大抵の場合は、その後、

 

「ものすごい力で海に引きずり込まれる」とか

 

「心の中で必死にお経を唱えているうちに足がふっと軽くなる」

 

というオチがつくだろう。

 

 

「大声で一喝すると霊が退散した」

 

などという、武勇伝にも似た話もよく聞く。

 

 

しかし、Kは違った。

 

 

筋力によって霊に打ち勝つ

 

という稀有な存在であったのだ。

 

 

上背こそないものの、高校のハンドボール部で活躍していた彼は、運動能力も高く、並外れたパワーのもち主であった。

 

 

「つかまれた」とボソッと言った後には、確かに、「んっ!」と力を込めて足を振り払っていたし、

 

本人曰く“霊数人がかりで後ろから押された”ときも、その体幹の強さからか、全然大丈夫であった。

 

 

(そのときも数メートル隣で釣りをしていたのだが、確かにびくともしていなかった)

 

 

本当に押されていたのだろうか…。

 

水辺では必ずライフジャケットを着用しましょう!

 

 

 

(話は逸れるが、印旛沼で“本物の”遺体を発見したときもKと一緒だった)

 

 

 


 

 

大規模な工事によって、現在ではすっかり様変わりしてしまった。

 

 

漁港は跡形もなく、きれいな岸壁が一直線に続く。

 

 

釣り人の数も当時よりずっと多い。

 

 

お互い忙しくなってしまい、Kと釣行することはなくなってしまった。

 

 

8体の霊は、未だこの場所を彷徨っているのだろうか。

 

 

戦時中、私の祖父はここからほど近い海堡にいた。

 

 

幼い頃に聞いた話だが、砲撃によって敵機を撃ち落とすため、距離や砲身の角度を計算する観測班であったらしい。

 

 

しかし、実際に敵機が現れることはなく、終戦を迎えたという。

 

 

その会話の中に、印象深い一節がある。

 

 

従軍中、祖父らは、

 

「溺死者を運んで、○○港に並べた」

 

と言うのだ。

 

 

○○港は先の廃港である。

 

 

 

釣れ釣れ度■■■□□

ロスト度■□□□□

レア度■■■□□

「港に運んで並べた遺体の数が8体だったのか、それとも8名が行方不明のままなのか、若干気になるところではある」度■■■■□

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