一時期、長いグラスロッドを使ってシーバス釣りをしていた。
普通の釣り方よりもずっとよく釣れる、あるルアー、釣り方、があったからだ。
もちろん、ミノーも投げた。
ぼくの通っていたエリアでは、多くのベイトが入ってきたときには、やはりミノーが強かった。
ナショナル『電子発光ルアー “目玉が光る!”』
どう見てもラパラを意識したフローティングミノー。
これ、
その名の通り、光ります…。
目が…。
うーん、、なぜ目を光らせちゃったのだろう…。
光らせるのなら、普通、ボディでしょ。
事実、ナショナルは、その後ボディが光るルアーをリリースしている(←ぼくが実際に投げていたのはこっち)。
でも、そんな“とんちんかん”(褒め言葉)のおかげで、こんなにも表情豊かなミノーが世に送り出されたのだ。
光るルアーはそんなに流通していなかったし、ぼくは効果を確かめたくて、しばらく使っていた。
千葉県湾岸部の小河川。
バイトが終わった後、ぼくは車を飛ばして、先輩は「GSX-R」にまたがって、よくここに来ていた。
潮汐にもよるが、大体、22時から23時の間に合流して、竿を出し、3〜4時間ほど釣りを楽しむ。
当時の湾岸部はまだ、整備されている区域は少なく、この時間になると静寂が支配していた。
はるか遠くの工場や、水平線に浮かぶ船舶を除き、視線の先に人工的な明かりはほとんどない。
釣り場の周囲、見渡すかぎりの荒れ地には、膝丈ほどのキク科の雑草が広がり、風に揺れていた。
そんな景色だから、
駐車スペースから遠く離れて釣りをしていても、誰かが来ればすぐに分かるし、
月明かりに浮かぶ釣り人の姿は、遠方にあっても目視することができた。
その日は、互いに、少し離れて釣りをしていた。
頬をなでる風が、やけに生暖かかったことを覚えている。
ぼくは河口部へ出て、消波ブロックの上から、沖目を狙ってキャストを繰り返す。
フッコサイズではあったが、魚はあきない程度に遊んでくれた。
暗闇の中、先輩のヘッドライトだけが、河口から30mほど遡った辺りで揺れている。
温排水が流れ込むポイントを狙っていることは明らかだった。
ぼくが立っている消波ブロックはネズミの住処になっている。
初めてこの釣り場を訪れたとき、足もとから
「ニャー、ニャー…」
と鳴き声が聞こえてきた。
てっきり猫がいるものと思いヘッドライトを照らしてみると、頭からしっぽの先まで130cmはあろうかという巨大なネズミが、何匹も、走り回っていた。
この日も、足もとからは、
「ニャー、ニャー…」
という鳴き声が聞こえてくる。
打ちつける波の音にかき消されるようで、その声はどこか、もの哀しげだった。
時刻は午前1時をまわった頃か。
そういえば少し前からアタリも止まった。
月は雲に隠れ、石板色の闇が、空と海との境界を滲ませる。
振り返っても荒れ地が広がるばかり。
時折、その荒れ地を風が走り抜け、草がザワザワと揺れる。
意識しなくとも、心細くなってくる。
そろそろ合流しようか…
そう思い、ぼくは、先輩が釣りをしている方向へと目を向けた。
すると、ちょうどその時、先程まで同じ場所に佇んでいたヘッドライトが、川の上流に向かって移動し始めたのだ。
その先には橋がかかっており、ぐるりと回って、ぼくと合流することができる。
あぁ、先輩も心細くなったんだな…
と思い、ぼくは内心、少しほっとする。
しかし、どうも様子がおかしい。
ヘッドライトの揺れ方が尋常ではないのだ。
遠目にも、ものすごい勢いで走っていることは明らか。
足場が悪いにもかかわらず、全速力で、上流めざしてまっしぐらに駆けている。
「一心不乱」
「死に物狂い」
ぼくの脳裏に、そんな言葉が浮かんでは消えていく。
それでも、やっぱり、ぼくはただの「釣り人」。
結局は、
余程の大物でも釣ったのかなぁ…
そんなことをぼんやり考えながら、再びキャストを繰り返した。
その刹那、「GSX-R」のエンジン音が、闇を切り裂くように響き渡った。
発進と同じくして、本気でアクセルを開け、狂暴なまでに加速していることは、その排気音からも容易に想像できる。
驚いたぼくが次に目にした光景は、荒れ地の向こう側を、フルスロットルで遠ざかっていくバイクのテールランプだった。
…えっ!?
そう思ったときにはすでに、先輩を乗せた「GSX-R」は、はるか彼方で咆哮を上げていた。
…独りになってしまった。
それでもぼくは、しばらくは釣りを続けたし、
バイク好きの先輩のこと、
どうせ釣りにあきて、その辺を走り回っているのだろう…
その程度にしか思っていなかった。
しかし、どれだけ待っても先輩は戻ってこない。
間もなくして、ぼくも帰路に就いた。
次の日、学校を終えバイトに行くと、いつものように先輩はいた。
無事ならそれでいい。
ところが先輩は、ぼくを見つけると、血相を変えて昨夜の出来事を話し始めたのである。
事の顛末はこうだ。
「ねぇ、釣れた?」
あの時、背後から突然、こう尋ねられたという。
驚いて振り返ると、そこには幼い男の子が立っている。
この時間、
この場所、
子どもがいるはずがない。
男の子は、再び、
「ねぇ、釣れた?」
と、笑いながら尋ねた。
しかし、土気色の肌からは、まるで生気が感じられない。
白く靄(もや)がかかる体は、
時折、
向こう側を透けて見せる。
このとき先輩は、怖ろしさのあまり、声も出せなかったという。
するとその子は、ゆっくりと向き直り、
今度は河口に向かって歩き出した。
否、「歩く」といっても、足がないのだ。
このとき気づいたのだが、
男の子は、腿のあたりから下がない。
つまり、浮かんでいるのだ。
何度か視線を落とすものの、どうしても、足が見えない。
そのうちに子どもは、
荒れ地を音もなく、
海に向かって、
すべるように進んでいった。
恐怖で体は硬直し、全く動かすことができないのに、
視界はなぜか、子どもの姿をはっきりと捉え続ける。
子どもはそのまま海面を浮遊し、
最後は、
何かを探すようにしばらく彷徨った後、
忽然と姿を消した
…という。
その後の先輩の行動は、前述した通り。
この場所ではよく水死体が浮く。
護岸上の柵に、千葉県警の張り紙がくくり付けられていることも常だ。
張り紙には、
年齢や性別、体格、身体の特徴、さらに、見つかったときの服装なんかが詳細に書かれていて、
つまるところ、
心当たりのある方は連絡してください…と。
ぼくは、その後も幾度となく、この場所でシーバス釣りを楽しんだ。
(先輩は、いくら誘っても、二度とこの場所を訪れなかった。)
しかし、後にも先にも、張り紙の故人が子どもだったことはない。
ただ、同じ頃、
直線距離にして数キロほど離れた海岸で
「切断された子どもの左足が見つかった」
と、新聞に小さな記事が載った。
ちなみに、光るルアーの効果、(多分)全くありません。。
遠投する必要がある陸からのシーバス釣りでは、目立ちもしないので、アングラー側のメリットも少ない。
とはいえ、、
そんなことは関係ない。
大事なのは、
目が光る
ということ。
そして、
ナショナルがルアーを出していた
ということ。
“釣れる釣れない”は関係ないんです。笑
最後に、、
ぼくは、
何も見ていません。
霊とか、
全く信じません。
釣れ釣れ度■□□□□
ロスト度■■□□□
レア度■■■□□
「ぼくだったらいろいろと話し込む。たとえ向こう側が透けて見えていたとしても。」度■■■□□