コピーとまでは言わないけれど、今、世の中にあふれているルアーのほとんどが、過去の偉大なルアーのオマージュであることは事実である。
「魚を釣る」というルアーの本質、つまり、それぞれがもつ根本的な形状や機構・機能、特性は不変であるから、後発のものはどこかで差異を生み出さなければならない。
その結果、ルアー自体が、開発者(ビルダー)の自己表現、自分の内面を伝達、するための媒体ともなることは至極自然な流れとなる。
殊に、インディーズ系ブランドやガレージメーカーでは、この傾向が顕著である。
ルアーという“canvas”に絵を描くことはその代表的なもの。
ルアーを“用箋”として「表現する」ビルダーもいる。
これからも、インディーズ系ブランドやガレージメーカーのルアーについて書き留める際には、これを前提とする。
表現方法として平面作品があれば、もちろん立体作品も、そして、それらを併せもったものもある。
この“立体作品”というのが非常に厄介で、「魚を釣る」というルアーの本質を、たびたびビルダーに見失わせてしまうのだ。
そこにあるのは、自己表現や内面の伝達ではなく、自己満足や自己主張の闊歩である。
※ぼくは、以前書いたように、ハンドメイドルアーである限り(リアル系は特に)、没個性が最大の個性だと捉えている節がある。
しかし、表現が自己満足や自己主張を昇華した場合、本質は意味を失くし、ルアーには“Fascination”が降り立つようだ。
『イーヴァの冒険』
販売価格は10,000円くらいだったと記憶している。
これは2nd。
友人に頼み込んで、1stとともに譲ってもらった。
仕掛け人は「CASKET」の手島氏。
詳しいことは分からないが、ルアーという媒体を介して、氏の思い、愛慕の情が結実したのであろう。
確かなことは、ルアーの「ひとつの究極の形である」ということ。
ここまで来ちゃうと、全然ダサくない。
むしろ「清々しさ」や「美しさ」に似た感触を得る。
これは、間違いなくルアーではあるのだけれど、「ルアー」、そして「おもちゃ」、の限界を明らかに超えている。
それは、販売価格のことだけではない。
「ルアー」という“道具”を超越している、ということは、以下のような側面からも分かる。
船底塗料が深緑色のほう、よく見ると傷だらけなのだが、これまでに何度も投げてきた。
しかし、とにかく、よく壊れるのだ。
完全に分解することはなかったけれど、使うたびにどこかにガタがくる。
もちろん、水面以外、どこにもぶつけていない。
さらに、魚が掛かったこともない。
それなのに、絶え間ないトラブルに見舞われてきた。
…。
とても繊細なんですねぇ。。
その都度自分で補修してきたけれど、
使っている最中、これほど不安の尽きないルアーって、他にはなかなかない。
「頑丈なものよりも繊細なもののほうが魅力的」
なんてよく言うけれど…
ルアーには絶対当てはまらないよな。笑
最後に。
一部では、
「このルアーがボックスに入っていたら、女の子ウケがいい」
という意見もありますが、かなりリスキー。
こんなルアーがボックスに入っていたら、
「超やばい人」
または
「キモい」
などと思われることも往往にしてあるので。
あっ、あと、ボックス内でガチャガチャなっただけで壊れると思いますよ…。
釣れ釣れ度■□□□□
ロスト度■■□□□(使用中、船長が行方不明になるなど、パーツがふっ飛んでいく危険性大)
レア度■■■■■
「鳥羽一郎」度■■□□□