「赤いキャップの少年」WHITE SMOKY/三日月L

江戸時代の宿場町を抜け、陰鬱とした山間部へと分け入った先に、その別荘地はひっそりと佇んでいた。

 

 

“ひっそり”とはいえ、その別荘地は、バブル期にいかに莫大な予算をもってして開発に着手したのかを容易に想像させるだけの、広大な規模を誇っていた。

 

 

もっとも、バブルの崩壊とともに、計画も頓挫したのだろう。

 

 

管理棟以外の建造物—つまり別荘—は数える程度であり、道は荒れ、路肩の舗装はあちらこちらで崩壊していた。

 

 

 

ここを訪れるのは一度や二度ではない。

 

 

しかし、誰一人として滞在者を見かけることはなかった。

 

 

(正確には、ロッジ風の立派な管理棟には、いつも、灯りが一つともっていた)

 

 

樹木の手入れも行き届いていない薄暗い景色に、この土地特有の霧が昼間でも立ち込める。

 

 

視界は奪われ、寂しさと冷気が嫌な悪寒となって背筋を走っていった。

 

 

私がこの別荘地を訪れていたのにはわけがある。

 

 

そう、バス釣りである。

 

 

別荘地に隣接するように、とある急峻なダム湖(「Hダム」とする)が存在しているのだ。

 

 

幼い頃(まだバス釣りと出会う前)の記憶では、Hダム上流部に架かる長さ100mを超えるアーチ橋は、風光明媚な景勝地として、多少は知られた存在であったはず。

 

 

家族で、山荘から車で1時間ほど走り、観光を目当てに訪れたこともあった。

 

 

もちろん、間もなくして湖畔の別荘地同様に廃れ、アーチ橋から人々の姿はすっかり消えてしまうわけなのだが。

 

 

 

ところが、Hダム、そしてそこに架かるアーチ橋が、一部の地元民を中心に、再び関心を集めることとなる。

 

 

自殺の名所である。

 

 

事実、

そういった噂が広まる数年前、

アーチ橋には、通常の欄干の上に、さらに、上端に有刺鉄線を備えた、2.5mほどのフェンスが取り付けられた。

 

 

時を同じくして、橋のたもとには小さな祠が置かれるようにもなっていた。

 

 

 

 

肝心のバス釣りについてなのだが…

 

 

当時私は、まず、バスがいることを目視で確認することにした。

 

 

アーチ橋は、水面までの距離が数十m。

 

 

ポイントとしてもプアであり、魚を目視することは困難を極める。

 

 

そこで、別荘地を抜け、ダム堤体へ移動し、天端から観察することにした。

 

 

そっと水面をのぞき込むと、それはもう、いるいる。

 

 

50センチクラスがうようよしていたのである。

 

 

そうなると、次は、どうやって釣るか…つまり、どうやって水際までたどり着くか、である。

 

 

人間が立ち入ることを拒むかのような深い峡谷であり、加えて、周囲は鬱蒼とした木々に囲まれていた。

 

 

しかし、天端から見渡しているうち、

どこまでが断崖、どこからが湖面、であるかも判別できないほどの濃緑の中に、

おそらく畳2〜3畳分ほど、土が露出している平坦な土地を見つけたのである。

 

 

どうやら、釣りができる場所は、そこしかないようだ。

 

 

とはいえ、あの場所から、バスのいるであろうポイントに届くのだろうか?

 

 

否、そんなことよりも、まず、降りられるのだろうか?

 

 

そんなことを考えながらしばらく周囲を見渡し、再び土が露出した平場に視線を戻すと、

なんと、

そこに赤いキャップをかぶった(おそらく)男の子が立っているではないか。

 

 

降りられる!

 

 

初日はそれが分かっただけで充分だった。

 

 

日も落ちかけたHダムと湖畔の別荘地は、より一層の寂しさを漂わせ、私に帰路を急がせた。

 

 

帰る頃には、少年の姿は見えなくなっていた。

 

 

それから3日と経たないうちに、どうにもこうにも我慢できなくなった私は、Hダムへと向かっていた。

 

 

水際の平場(といっても畳2〜3畳分ほどだが)へと降りる道は、意外なほどあっけなく判明した。

 

 

バスを発見し山荘へと戻ったその日のうちに、地元の農家が教えてくれたのだ。

 

 

薄暗く、鬱々たる別荘地に車をとめる。

 

 

相変わらず、滞在者とすれ違うようなことはない。

 

 

しばらく歩くと、1区画、樹木が伐採された、膝丈ほどの雑草が生茂る土地が現れた。

 

 

そこが降り口の目印である。

 

 

雑草をかき分け、ダム湖側の林地へと進む。

 

 

しばらくは、鬱蒼とした樹林の中の道をまっすぐに進んだ。

 

 

間もなくすると突然、先の見えない急斜面に差しかかる。

 

 

つづら折りの道中何箇所かは、ロープまたは鉄パイプで作られた簡易的な梯子を降りなければならない。

 

 

最後、ロープが垂らされた3m程の垂直の岩盤を降りると、そこに湖面と接する平場はあった。

 

 

降り立って初めて分かったことだが、この平場の端部はあまりにも脆弱であった。

 

 

体重をかければ間違いなく崩れる。

 

 

一度落水したとなれば、陸に上がるのは困難を極めるだろう。

 

 

 

釣果も散々であった。

 

 

一昨日、そこからこちら側を眺めていた堤体まではルアーが届くわけもなく、

左右のオーバーハングを打つこともままならない。

 

 

足場の先は見たことがないほどの急深であり、

周囲の樹木を映し、のみ込み、限りなく黒に近い濃緑色の水を湛えていた。

 

 

何回めの釣行だっただろう。

 

 

その日も午後からの釣行であった。

 

 

ここに降り立つ前、堤体から下をのぞくと、相変わらずバスはいた。

 

 

しかし、相変わらず、釣れなかった。

 

 

山の日暮れは早い。

 

 

釣り方が分からない…

 

ここからフロートボートを降ろすことはできないものだろうか…

 

そもそもこんなリスクを冒してまで釣りをするほどの場所なのだろうか?

 

寂しいから、あのときの男の子でも来てくれないかな…

 

などと考えながら釣りを続けているうち、周囲には霧が立ち込め、それに追従するように闇が迫っていた。

 

 

私は早々に釣りを切り上げることにした。

 

 

そして、来た道を戻ろうと向き直ったとき、

赤いキャップをかぶった男の子はそこにいた。

 

 

見たところ、小学校4〜5年生といったところか。

 

 

いつからいたのだろう。

 

 

気配も、視線も、全く感じなかった。

 

 

3m程の垂直の岩盤の上に立ち、じっとこちらを見下ろしている。

 

 

目深にかぶったキャップのためか、顔は暗く、表情を読みとることはできない。

 

 

ほの暗い樹林を背景に、赤いキャップと土気色の肌がやけに目立った。

 

 

話しかけようと(もちろん帰り道でもあるので)私が一歩踏み出すと、男の子はゆっくりと踵を返し、向こう側へと消えてしまった。

 

 

このときは、単純に、別荘に滞在している子どもだと思った。

 

 

この別荘地で滞在者を見かけるのは初めてのことである。

 

 

寂寥感に支配されていた私は、正直、私以外の人間とここで会えたことが嬉しかった。

 

 

そして、一人きりの男の子がどうしようもなく寂しそうな雰囲気をまとっていたので、私は慌ててロープを掴み、岩盤を登り、男の子の後を追った。

 

 

 

ところが、進めど進めど、男の子の姿は見えない。

 

 

しばらくは急斜面地帯であり、幾つにも折れ曲がった獣道。

 

 

所々、垂直な岩盤、崖、をロープ等を使って登らなければならない。

 

 

このルートを、わずか10歳ほどの子どもが、こんなに速く進めるのだろうか?

 

 

そうこうしているうち、なだらかに、まっすぐに延びる道へと、様相は変化した。

 

 

その瞬間、ほんの一瞬だが、視界の先に赤いキャップを捉えたような気がした。

 

 

 

そうして、ぼくは、無事に山荘へと戻った。

 

 

その後、この出来事は、私の記憶からすっかりと消えてなくなっていた。

 

 

一年後、私は、山荘からほど近いため池でジンケン(オイカワ)釣りを楽しんでいた。

 

 

当時この池には、用水路で繋がった先にある養鱒場(兼釣り堀)から逃げ出したニジマスも棲息しており、それを狙ってルアーを投げる者もいた。

 

 

隣の釣り人がそうであった。

 

 

 

聞けば、同い年で、バス釣りが大好き。

 

 

広島の大学に通う身であり、今は帰省中なのだという。

 

 

さらには、専攻する学問分野まで同じであったことから、打ち解けるのに時間はかからなかった。

 

 

なんでも、広島ではしばしば50アップが釣れるのだという。

 

 

トップで〜云々。

 

 

関東を中心にバス釣りをしている私にとっては、彼の話す内容が、うらやましくて仕方なかった。

 

 

そうして、ごく自然な流れで、ここから1時間ほどの距離にある例のダム湖の話になった。

 

 

「Hダム、でかいのがめちゃくちゃいるよ」

と私が言うと、彼も黙って頷いた。

 

 

知っていたのだ。

 

 

“さすが地元民”と言うべきか、“バス釣り愛好家の執念”とも言うべきか、

湖面と接する唯一の平坦な土地、そしてそこへと降る道、も当然のように知っていた。

 

 

ところが、続いて彼は、奇妙なことを話し始めたのだ。

 

 

「でも、あそこ、出るよ」

と。

 

 

中でも、湖面に接する平場と、そこへ降りる道中には、10歳くらいの男の子の霊が現れるのだという。

 

 

実際に彼も、樹林の中の道を歩いているとき、出会ってしまったという。

 

 

赤いキャップをかぶった男の子と。

 

 

「だからぼくは絶対に行かない」

と、彼はきっぱり言い切った。

 

 

 

私は霊感がない。

 

 

それどころか、霊だとかその類のものを全く信じていない。

 

 

 

彼は話を続けた。

 

 

「実はHダムは、橋から身を投げるんじゃなくて、周りの森で首を吊ったりして自殺する人が多いんだよ」

 

 

「10年くらい前、小学校4年生の男の子がS市で行方不明になったんだけど、なぜかHダムの森の中で遺体が見つかったんだよね」

 

 

「それからすぐ、お母さんも橋から飛び降りちゃったんだ」

 

と。

 

 

彼と別れた後、私はすぐに事実関係を確認した。

 

 

12年前、確かに、そのような事件があった。

 

 

以下は地元の農家から聞いた話。

 

 

当時、母親の遺体をダム湖からそのまま上げることーつまり、別荘地内で遺体の処置を行うことーに、開発業者が猛烈に反対したという。

 

 

しかたなく、水際に、急ごしらえの平坦な土地を造成し、そこで母親の遺体を処置していたのだ。

 

 

私は、そこに立って釣りをしていたのである。

 

 

もっとも、水際へと降りる道自体が、Hダムで発見される遺体を運ぶためにつくられたものであり、現在でも、遺体の大半はその道を通すという。

 

 

 

それからは、私も、Hダムを一度も訪れていない。

 

 

 

ちなみに、森の中で見つかった男の子の遺体が赤いキャップをかぶっていたか…までは、知ることができなかった。

 

 

ただ一つ確かなことは、「今でも母親に会いにきている」ということだ。

 

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釣れ釣れ度 ■■□□□

ロスト度■□□□□

レア度■■■□□

「霊も50アップもうようよ」度■■■■□

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